よそ者ササヤマンから見た篠山

兵庫県篠山市に生まれたけれど今は住んでいないササヤマンのブログ。篠山について外からの視点でいろいろ書ければと思います。

篠山の日本遺産認定から早3ヶ月〜またハコモノの愚をおかすのか

○ウェブで日本遺産、篠山市で検索すると・・・

 

ササヤマンのふるさとの篠山市が日本遺産に

認定されたことについては以前書きました。

 

 

sasayaman.hateblo.jp

 

 

sasayaman.hateblo.jp

 

 

sasayaman.hateblo.jp

 

あれから早3ヶ月が経とうとしているのですが、

最近気になって「日本遺産、篠山市」で

Google検索してみたんです。

 

そしたら1位は

篠山市の公式HPにおける日本遺産に認定されたというニュースなのですが、

 

2〜4位がササヤマンの書いた上記の3つの記事だったのです。

 

なんというか、

おいおい大丈夫か?という気持ちです。

 

それとも、

旅の雑誌なんかにはこの日本遺産のことが書いてあったりするんでしょうか。

 

あるいは

旅行会社で日本遺産巡りの旅でも企画されているんでしょうか。

Google検索した限りではヒットしませんでしたが)

 

いずれにせよ、人間は忘れやすい生き物です。

 

少なくともササヤマンにとっては

最近認定された世界遺産の方が記憶に残っています。

 

3ヶ月も話題に上らなくてよいのか?

ちょっと心配になります。

 

 

○施策を発見!したものの・・・

と思っていたら、いくつかの施策を発見しました。

 

www.kobe-np.co.jp

 

事務局の市企画課が、デカンショ節体験施設の整備▽情報発信のための案内板設置▽記念フォーラムの開催▽「ふるさと劇団」によるデカンショ節の普及啓発事業-として、国に計約7350万円の補助金を要望したことを報告した。

 

ハード事業とフォーラム開催ですか。。。

 

個人的には、とりあえず困ったら

なにかハコモノ建てて、ソフト事業は単発イベントでお茶を濁すというのは、

全国どこでもやってる話で、

 

それがご当地アニメかご当地グルメかご当地ゆるキャラかの違いであって、

そこに「ご当地民謡」で同じ施策打つ

というのは知恵がないんですって告白しているようなものだと思います。

 

デカンショ節で打ち出しているから、体験施設がいる。

1年中デカンショ節を見せたい」

という発想なのかもしれませんが、

 

そこですぐに数千万円もかけてハコモノ建てる発想にどうして行き着くのでしょうか。

 

だいたい、

本当にデカンショ節をそこで教えてあげるようにするつもりなら、

振り付けをする人を365日配置するつもりなのでしょうか。

その人件費含めて、

毎年百万円オーダーの維持管理費をこれから払うつもりでしょうか。

 

もし「デカンショ節を常に見せたい、踊れる環境にしたい」

と思っているんだったら、

 

今から、

旅館と食堂と土産物売り場の店員全員に、

デカンショ節の振り付け指導レッスンを行い、

必要ならば衣装を無料配布すればいいんではないでしょうか。

 

あるいは、

朝のラジオ対象じゃないですが、

「旅館では必ず朝に踊ってます」

とか、

「市役所に12時45分に行くと

かならず職員全員が15分間踊ってます」

とか、

いくらでも見せ方はあると思います。

 

少なくともわざわざハコモノをつくる話ではないのではないかと思うのですが、

これを読まれた方はどう思われるでしょうか。

 

○ブロガーの施策はあるけれど・・・

 

とげんなりした気持ちで

施策を探し続けていたら、

こんな事業もするようです。

 

篠山を巡るブロガー旅行記

 

今年4月、篠山市は【日本遺産】に認定されました。 デカンショ節をテーマとしたストーリーには、篠山城跡、青山歴史村、丹波立杭焼など市内の 有形無形文化財15箇所が盛り込まれ、篠山市にますます注目が集まります。
「日本遺産」に認定された「丹波篠山 デカンショ節 -民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」を テーマとして実施する「篠山(日本遺産)パワーアップ大作戦!」の一環として 「篠山を巡るブロガー旅行記」のブロガーを募集いたします。
ブロガーの方には、デカンショ節にちなんだ篠山市内有形無形文化財15箇所を旅していただき、 観光スポットなどの感想をブログでPRしていただきます。

 

とのことで、

20名を公募して、

15,000円を謝金として払うとのこと。

 

ハード事業だとか、

芸のないソフト事業をするよりは、

よほど賢いお金の使い方だと思います。

 

ただ、

「公募」で20名を集めるだけでどれだけ発信力のあるイベントになるかは

ちょっと気になるところです。

 

古来戦力の逐次投入ほどよくある負けパターンはないわけで、

どうせなら、

誰か有名人に100倍のお金を払って

ブログ1本書いてもらう方がインパクトとしては費用対効果高そうだと

思うのは私だけでしょうか。

 


今回(ステマ推奨ではなくて、

普通に全部無料で

宿泊からアクティビティまで

やってもらうくらいでいいと

思います。)


イベントの実施主体が

一般財団法人であることからも

 

なんとなく

篠山市当局としてあまり一般の人にお金をバラまくと

批判もあったりするので、

とりあえず一般財団法人からお金を出してもらおう」

とか

補助金待っていたら予算が間に合わないから、

一般財団法人で機動的にお金を出そう」

とか、

そういう発想なのかなあと思います。

 

ただ、上記のハコモノの方がよほど個人的にはムダ金だと思うので、

事業者が儲かっておしまい、というよりは、

ブロガーにPRしてもらうほうが

効果はでるんじゃないでしょうか。

 

あるいは、どうせ呼ぶなら話題づくり先行で

デカンショに1000人ブロガー呼びます」

とかした方が

(炎上するかもしれませんが)話題にはなるのではないでしょうか。

 

それとも、

(ここまでくると思いつきですが)

デカンショ節を題材に一本小説を書いてください。

賞金は1000万円」

などでもいいのかもしれません。

 

ハコモノ数千万円より

PR効果のありそうな施策ならいくらでも思いつきそうですね。

 

いずれにせよ、

ブログの施策のようなPRにお金をかけることはササヤマンは支持しますが、

ちょっとお行儀がよすぎる気がします。

 

ストックの社会保障は世の中を救うのか?② ー 200年持たない200年住宅

前回の記事で取り上げた、

公営賃貸住宅をツールとして、社会保障を行っていく

というアイデアの検証を行っていきたいと思います。

 

まず、

民間の賃貸住宅の家賃がなぜ高いかというと、二〇〜三〇年ぐらいで建設費を回収できるように家賃を設定するからです。なぜ二〇〜三〇年かというと、民間の信用力では銀行融資は、最長でも三〇年程度だからです。しかし、国や地方自治体は、二〇〇年間の借金をすることも可能です。そして耐用年数が二〇〇年で、なおかつ維持補修費は、他の集合住宅とさほど変わらない住宅を建てる技術は、すでにできています。

 

この中で、

 

耐用年数が二〇〇年で、なおかつ維持補修費は、他の集合住宅とさほど変わらない住宅を建てる技術は、すでにできています。

 

について取り上げます。

 

200年住宅のその後

 

福田内閣において、政策の目玉として「200年住宅」という言葉が出てきました。

その後、長期優良住宅という名称に代わり、

平成20年には普及のための法律が制定されています。

 

http://www.mlit.go.jp/common/001089279.pdf

 

この制度の発想の根底にあるのは、

日本の住宅が

アメリカなどと比べて相当短い30年程度で

建てては壊してを繰り返しており、

 

その結果として、

1年当たりの建築費負担や解体コストが高くなっている、

というものです。

 

f:id:sasayaman:20150627142926g:plain

 

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<引用元> 

 平成20年度国土交通白書 2 住宅に関する現状と課題

 

 

このような長寿命化の必要性を踏まえて、

そうした長寿命化ができるのかという点についてはどうでしょうか。

 

住宅生産団体連合会という団体のHPを見てみると、

 

高強度・高耐久の100年コンクリートや免震工法、制震壁、地盤改良技術など、住宅の長寿命化への取り組みがなされています。

また、中高層・超高層住宅については、超高強度コンクリートを使用した高耐震スケルトンシステムが開発されており、その多くはSI対応となっています。また、行政との連携による革新的構造材料を用いた新構造システム建築物の研究開発プロジェクト(平成16年度~平成20年度)において200年耐用を目指した超耐震建築システムの技術開発が進められています。

 

というように確かに200年耐用に向けた技術的シーズはあるようです。

 

www.judanren.or.jp

 

 

一方で、

200年住宅が話題になった時期の報道を見ていると、

 

福田会長は「200年というのはシンボルであり科学的な根拠はない。旗を振っている段階であり、具体的なことはこれからである。今年の夏の概算要求にどれだけ入れられるかである。資源の節約とまちの景観を守るということからすると200年住宅は実現しなくてはならない」との決意を話している。

 

www.asahi.com

 

と書かれているように、

200年という言葉のスローガン的な意味合いが見て取れます。

 

また、

 

構造部分の金物や合板については、200年持つとは考えられません。
金属部分の腐食や結露による木部の腐敗、合板の接着剤の耐久性など、200年持つのは至難の技です。

この部分を交換すると相当な大工事になります。
もし構造部分に交換が必要なら、200年住宅と呼ぶには大きな疑問があります。

基礎コンクリートの中性化を考えると、標準的には50年程度の耐用年数です。
(これは鉄筋コンクリート構造の公な耐用年数を考えてもらえば理解できます。)
基礎を作り変えることが必要ならば、とんでもない大工事となり、とても200年住宅とは呼べないでしょう。
200年コンクリートも作られてはいますが、まだ現実には実証されていない技術ですし、酸性雨などを考えると微妙な印象です。

gob.ie-sumai.com

 

というような指摘も見られます。

 

 

ここで、

税制面での優遇などを受けるために

長期優良住宅として受けるための基準を見てみると、

 

数世代にわたり住宅の構造躯体が使用できること。

 

として、

 

劣化対策等級3相当、「構造矩体が3世代(75~90年)もつ程度の対策」

 

が定められています。

 

 

したがって、

制度的には200年、というより100年を前提にしていると考えられ、

 

耐用年数が二〇〇年で、なおかつ維持補修費は、他の集合住宅とさほど変わらない住宅を建てる技術は、すでにできています。

 


 

とまで言い切れるほどには至っていないのではないでしょうか。

 

(これを読まれている方で、

技術的に既にできているという話があれば教えてください。)

 

というわけで、

公営賃貸住宅の議論をする場合でも、200年というよりは、100年程度を射程にするのが現実的であると考えます。

ストックの社会保障は世の中を救うのか?①

今回も読書ネタなのですが、

 

松谷明彦さんの「東京劣化」を読みました。

 

 

東京劣化 (PHP新書)

東京劣化 (PHP新書)

 

 

「人口が減って大変大変」、「地方が消滅しそうで大変大変」という

地方創生花盛りな今の論調に一石を投じる考察です。

 

ざっくり言ってしまうと、

主張としては

 

 ①少子化対策で人口を維持しようとするのは不可能

 ②そもそも人口の維持を経済成長の手段とするのは間違い

 ③そもそも人口の維持を財政健全化の手段とするのは間違い

 

の3点になるんだと思います。

 

①については、なぜ不可能なのか細かい論証がなされていて、

同じような内容については、ウェブ記事にもまとめられています。

 

diamond.jp

 

そして①から導き出される筆者のメッセージが何とも示唆に富んでいます。

 

急速な人口減少と高齢化は、日本人自身が過去にしたことのツケだということが分かります。

 

そこから学ぶべきことは、

「人口をいじると五〇〜六〇年後に必ずツケが来る」ということです。

 

それにもかかわらず、政府はまた人口をいじろうとしています。少子化対策です。理由は、そうしないと国力が低下するから、日本経済が縮小するから、財政が破綻するから、年金がパンクするから、です。そんなことのために、子どもを殖やすべきだとするのなら、兵力を増強したいからと、子どもを殖やした軍事政府とどこが違うのでしょう。

 

少子化対策、というか、子育てをしやすい環境をつくっていくことは、

ササヤマンも(子ども持つ身なこともあり)賛成ですが、

少子化対策による人口増加で、

何らかの現在の困った状況を打破しようとするのは、

害の方が多いという点において、

筆者に対して多いに共感します。

 

それよりは、如何に人口減少社会でも何とかなる仕組みをつくっていくのか。

 

その点において、

②③が問題になってくるわけです。

 

 

この点、ササヤマンが非常に面白いアイデアだと思ったのが、

③に関連する筆者の主張です。

 

・・・政府が年金以外に有効な高齢者対策を持たないところに、問題の根源があります。・・・そもそも日本のような特殊な人口構造のもとでは、年金は高齢社会を支えるメインの施策にはなり難いのです。

 

高齢者の生活コストの中で、圧倒的に大きな割合を占める経費は、住居費です。

・・・ここで、比較的良質で低家賃の、それこそ二〜三万円程度の公共賃貸住宅を大量につくれば、仮に年金水準が大幅に下がったとしても、「高齢者難民」の心配はなくなります。

・・・資金はどうするのか。・・・確かに、建設費は公債で調達、つまり借金しますが、・・・元利とも全額を家賃で返済しますから、財政負担は発生しません

 

民間の賃貸住宅の家賃がなぜ高いかというと、二〇〜三〇年ぐらいで建設費を回収できるように家賃を設定するからです。なぜ二〇〜三〇年かというと、民間の信用力では銀行融資は、最長でも三〇年程度だからです。しかし、国や地方自治体は、二〇〇年間の借金をすることも可能です。そして耐用年数が二〇〇年で、なおかつ維持補修費は、他の集合住宅とさほど変わらない住宅を建てる技術は、すでにできています。

 

どうでしょうか?

ササヤマンの第一印象としては、「ほんまかいな?」というものですが、

 

年金は世代間のマネーの移動、つまりフローのシステムです。それに対して、公共賃貸住宅はストックを活用したシステムで、高齢者対策を行うものなのです。

 というように、

世代間格差が問題になるフローの社会保障以外の方法を

提案している点において、

検討の価値ありだと考えます。

 

第一印象の「ほんまかいな?」を「いけるかも?」くらいに変えるためにも

今後何回かに分けて、

この提案が実際にできそうなのか考えていきたいと思います。

「稼ぐまち」と「稼がない自治体」

☆10の鉄則を2つのポイントに噛み砕いてみる

 

このブログでも何度か取り上げている、

木下斉氏が最近本を出しています。

 

 

自ら金を出し、会社を作り、稼ぐ事を実践している筆者ならではの

エピソードがふんだんに盛り込まれているので、

まちづくりに関心ある向きは一読をお勧めしたいのですが、

 

木下氏のメッセージのポイントは以下の2点であると

ササヤマンは考えます。

(勝手に10の鉄則を2つにまとめてしまってますが)

 

 ①供給側ではなく需要側の視点

 

 ②自らのコミットメント

 

そして、この2つのベースにあるのが、

「稼ぐ」という明確な目的です。

 

稼ぐからこそ、売り手(供給側)ではなく、買い手(需要側)の視点が必要です。

 

稼ぐから(稼ごうとするから)こそ、他人事ではあり得ない、自らのコミットメントが必要になります。

 

☆稼がない世界を考えてみると

 

それでは、木下氏のメッセージと真逆の世界を考えてみます。

 

「稼がない」「稼げない」「稼がなくてもよい」世界です。

 

これまで、

行政は「民間が行わない=採算に合わない分野を行う」と考えられ、

もともと稼がない分野を担う事が往々にしてありました。

 

「稼ぐ」ことを目的にしている事業であれば、

「稼げるか、稼げないか」答えはシンプルです。

 

しかし、

「稼がなくてもよい」事業については、

「稼ぐ」以外の行う理由・目的が必要になります。

 

そこで、

「みんなのため」「住民のため」といった

ふわっとした民意などがその役割を担うことになります。

 

 

こうした理由・目的のもとでは、

実際に買い手がいるのか、利用者がいるのか、という

需要側の視点は出てきません。

 

結局、「みんなのため」「住民のため」に「頑張っている」

という、供給側がどれだけやったかという視点に終始することになります。

 

 

加えて、「自らの」コミットメントについても、曖昧になります。

自分のお金が、生活がかかっていれば、みんななんだかんだ一生懸命になります。

 

でも、

そもそも稼ぐ事が目的でない場合には、

コミットメントする理由は、多種多様です。

 

まだ熱意ならいいのかもしれませんが、

役場の職員なら、組織としてその担当になったからコミットする、といった、

「自ら」とは言い難いコミットメントになってくる事もあるでしょう。

 

その意味で、

「稼ぐ」ことをあきらめた瞬間、

 ①供給側ではなく需要側の視点

  ②自らのコミットメント

 という2つのポイントも崩壊し、

結果的に木下氏のあげている

10の鉄則も崩壊してしまうのではないかと考えます。

 

そして、それが多くの地域活性化の取り組みで

起こっていることではないかと考えます。

 

☆稼ぐ事をあきらめると失敗が許されなくなる

よく行政は失敗が許されないと言われます。

 

稼ぐ事が目的であれば、稼げなければそれは失敗です。

 

そして、

失敗すれば、撤退すればいいのです。

 

でも、行政ではそれはできません。

 

なぜなら、「稼げた/稼げなかった」というような明確な基準がないから。

もともとが、

「住民のため」といったふわっとした目的のために誰かが始めた事業であるために、

一度始めてしまうと、破産でもしない限り、失敗とはいいきれません。

 

失敗とはいいきれないために、

やめるときには常にやめることに反対する勢力がいます。

 

そしてこれまた面倒な事に、

稼がなくていいのなら、自分の財布が傷まないので、

誰も自分の問題として失敗に向き合わない。

 

目の前のプロジェクトを維持していくと、

毎月、10万円ずつ自分の貯金が減るのなら、

誰だって真剣に撤退を考えます。

 

でも、誰も懐は痛まない。

撤退の判断をして痛むのは組織のメンツや政治家の顔。

それでは誰も撤退しません。

 

木下氏の著書での核心的なメッセージはまさにこれです。

 

これこそが、民間の力です。つまり成立しない事業は実行できないから強いのです。

行政の場合には無理やり国から予算を引っ張ってきたり、投資回収という概念を無視して自治体がその信用力を利用して借金し、力ずくで元の計画どおりの建物をつくってしまったりします。しかし、民間にはこれが出来ない。出来ないから知恵が出るのです。

 

「稼ぐ」という目的によって、明確な撤退の基準ができ、

失敗ができる組織に変わることができる。

 

もし行政が見習うべきところがあるとすれば、

まさにこのポイント=失敗できる組織になる、ということだと考えます。

 

地元に企業誘致しても若者が戻ってこない理由

☆スーツを着たい学生と製造ラインに立ってもらいたい企業

 

最近とある自治体の方とお話をする機会がありました。

 

その中で、

「うちの街の出身者はだいたい県外に進学して、

帰ってきたいと思っている学生もそこそこいるんだけれど、

みんな『地元には仕事がない』といって帰ってこないんだ。

だから企業誘致をしっかりがんばって雇用をつくっていかないと」

 

というような話をされていました。

 

自治体の方は企業誘致などを一生懸命がんばっておられるんでしょうけれど、

学生の求める雇用と、

企業誘致を通じて自治体が確保したい雇用

なんとなくミスマッチがあるようにササヤマンには思えるのです。

 

自治体が「企業誘致」という形で地元にもってくるのは

どちらかというと工場などがメイン。

 

一方で就活ランキングなど見ていると

学生が(周りの雰囲気に流されつつですが)求めている雇用は

いわゆるスーツを着る職業

 

スーツを着て働きたい学生に、

うちの製造ラインには仕事がいっぱいあります、

といってもあまり人が集まらないんだろうなあと思うわけです。

 

☆ギャップをどのように埋めていくのか

 

就活ランキングの学生の希望を見ていると、

「なんだか就活マーケットに毒されてるなあ」と思うわけです。

みんなどんだけ一流企業(と呼ばれているところ)に入りたいんだと。

 

一度、ちきりん氏のブログでも読んでほしいところです。

 

グローバル人材の意味、わかってる?

都市部で一般的な就活をすれば、私の方が相当に有利です。

なぜなら、そういう“市場”では多くの企業が「なんでも手早く理解し、要領よくこなせて話の上手い学生」、いわゆる「コミュニケーション能力の高い学生」を求めているからです。
 

反対に、手先が器用で細かい仕事を丁寧にこなせても、クチ下手で慎重な性格のため行動がゆっくりめの学生は、「ややトロい?」「積極的じゃない?」みたいに思われてしまう

能力がないわけじゃないのに合わない市場で就職活動をして苦労し、くだらない「面接の練習」とやらでしゃべる練習をやらされたりとか、間違った方向にプレッシャーを掛けられて疲弊してる人もたくさんいます。

(中略)

私がホントにかわいそうだと思っているのは、ラブリーのような企業に巡り会い、10年も働けば、確実に「世界に通用する技術」が身につけられる(うちの母のような適性をもつ)人が、

都市部の一般的な就職活動という「自分に合わない労働市場」を選んだがために、正当な評価を得られず、挫折感や劣等感に苛まされ、自分の人生に自信を失ってしまう、という状況です。

 

 

とはいえ、

なかなか新卒のタイミングでは、

みんなと違う選択を「自分の頭で考えてする」というのは勇気がいることなのかもしれません。

 

地方から東京の大学に出てきたような人にしてみたら、

「東京の会社に就職せずに、地元に戻る」というのがなんとなくプライドが許さないこと?

なのかもしれません。

(別にたいしたことない話でしょうけれど、当の本人には気になるんでしょうね)

 

☆新卒より第二新卒の方が雇用のマッチングがしやすい?

 

この点、

一度社会人経験をしてみれば、

就活時代にかかっていた魔法(あるいは催眠術)はだいぶん解けてきます。

 

「自分にあわないことをして、

大企業にいようとするよりも、

自分に向いているのであれば、

製造ラインでむしろ働きたい」

 

そう思ってくれる人も多いと考えます。

 

ちきりん氏の記事にもありますが、

じつは、学生にはまったく見えていない「自分に必要なフィルター」も、

少し働けば誰でもはっきりと見えるようになります

特に、最初の就職に「失敗した!」と感じた人は、

入社後すぐにでもその失敗の原因を理解します。

そして、「自分にとって意義のある仕事選びのフィルターはこれだったんだ!」と気がつくのです。

 

加えて、

「東京で大学出て『東京で就職できなくて』やっぱり地元に帰ってきた」

よりも、

 

「東京で大学でて東京でも就職したんだけれど、

『自分のやりたいことが見つかったので』やっぱり地元に帰ってきた」

のほうが心理的に一歩を踏み出しやすいと思うわけです。

 

したがって、

地元に帰ってきてほしい自治体サイドとしては、

 

県外に進学している学生に地元での就職をPRする以上に、

県外で一旦就職したような若者にPRすることが、

求める人材にアピールできる可能性が高いといえるのではないでしょうか。

 

☆実家にアピールしよう

 

ところで、

こうした人材にどうやったらアピールできるのでしょうか。

 

県外で働いているような地元出身の就職数年目の層が

おそらく毎年(あるいは2年に1回くらい)とっている行動があります。

 

帰省です。

 

たとえば、

成人式などに参加した20歳の人については、

実家の住所を役場で把握しているのではないでしょうか。

 

個人情報の取り扱いは別途考えないといけませんが、

たとえばそういう家庭に正月やお盆にUターンの案内を送ることが考えられます。

 

あるいは正月やお盆には、

地元の駅やバス乗り場に

 

「おかえりなさい」と看板でも立てて

Uターンの情報などを提示するなども考えられます。

 

☆見せ方も大事

 

企業側の見せ方も大事になってくると思います。

 

もちろん、

就活マーケットに毒されている学生に無理に迎合する必要はないのですが、

 

「あなたこっちの仕事のほうが向いてるんじゃない?」

というメッセージをうまく第二新卒層などにアピールしていくべきだと思います。

 

ターゲットの層が帰省時に一番アクセスしやすいのであれば、

その時期に「就業体験」や「面接」などを行うことも考えられます。

 

☆まとめ

以上をまとめると、

 

若者に来てほしい地元自治体や企業の提供する雇用と、

新卒の学生が就きたい雇用にはミスマッチがある。

 

そのミスマッチの解消には、いろいろ方法は考えられるけれど、

手っ取り早いのは「時間の経過」。

3年くらいして目が覚めた第二新卒がねらい目ではないか?

 

その層が地元に帰るタイミングは決まっているので

そこで集中的にアピールしては?

 

ということです。

もう少し上の子育て世代やシニア層など

それぞれのUターンの作戦はあるんでしょうけれど、

第二新卒の層を狙いにいくのは割にありじゃないかと思いました。

篠山市はベッドタウンになりうるのか?

篠山市は自己完結型都市?

 

以前の記事で兵庫県内の人口パターンを分析しました。

 

 

sasayaman.hateblo.jp

 

 

あらためて、表を眺めてみましょう。

 

 

f:id:sasayaman:20150430200238p:plain

 

篠山市に注目してみると、

最も県内で通勤先として多いのは三田市で約8%

大阪圏へは約6%です。

 

三田市

神戸市へ12%、大阪府へ17%通勤していることを考えると、

そこまで大きな数とは言えません。

 

以前の記事で示した岐阜県の分析モデルの類型によっても、

 

篠山市周囲へ通勤する都市ではなく、

自己完結型の都市として位置づけられることになります。

 

また、同様に以前の記事で示した

経済産業省による地域経済分析においては、

 

篠山市は大阪経済圏にも神戸経済圏にも組み込まれていません

 

誤解を恐れずに言うのであれば、

経済圏・生活圏としてはひとりぼっちになっています。

 

☆年齢に着目すると

 

とはいえ篠山の場合、

農業を市内で営む人が多いことを忘れてはなりません。

 

国勢調査(第1表)に基づいて計算すると、

篠山市から県外へ通勤する就業者は6.8%ですが、

このうち農業関係者を除くと

その県外通勤者の割合は7.7%に増加します。

 

篠山市からの県内通勤者についても

農業関係者を除くと、

20.9%から23.6%に増加します。

 

篠山市の農業関係者に占める

65歳以上の方の割合は73%。

60歳以上であれば86%に達します

 

この高齢者のウエイトは他の産業と比べても群を抜いています。

 

 

したがって、この高齢の農家の方を母数から除いて

若年層、中年層で見ると

篠山市から市外への通勤の割合は上記のように増加します。

 

 

福知山線という観点では

 

また、

福知山線沿線という観点では、

三田市大阪府は通勤時間に差はあれ、

同じ方面への通勤です。

 

同様に神戸市へも3%の通勤があり、

この3つをあわせれば15%以上が福知山線を南下していることになります。

 

 

☆ベッドタウンとはならないまでも、三田や大阪も意識する必要

 

上記のように、高齢の農家を除外すると、

篠山市福知山沿線の都市へ通勤する住民が相当いることが分かります。

 

 

今後の三田や大阪の人口や経済状況がどのように変わるのかによって、

多くの人が影響を受けることになります。

 

 

篠山市内へ企業誘致などで仕事を作ろうとするのも結構なのですが、

三田や大阪を含めた経済圏で

いかに雇用を確保するかという発想も必要だと考えます。

 

他の都市のベッドタウンになる必要はありませんが

圏域全体で発展し、

その圏域の中でいいところをとっていくという考えもありです。

 

三田や大阪に住んでいる人間に対して、

篠山の観光地としての魅力や田舎としての住みやすさを訴え、

あるいは通勤の利便性の向上を進めることも、

定住促進の点からは有効な選択肢になるのではないでしょうか。

日本遺産に関する篠山市長の発言に見るマーケット感覚

☆日本遺産はデカンショ節?

 

先日、篠山市長が兵庫県知事と面会した時に

「日本遺産に認定されたのはデカンショ節だと思っていた」と

言われたそうです。

 

「日本遺産」の誤解(市長日記)|市長日記|市政情報|篠山市(丹波篠山)

 

それを踏まえて篠山市長は以下のように続けています。

 

 歴史・文化豊かなまちを表現するため、まちなみや史跡、お祭りだけでなく、これをデカンショ節で構成するというストーリー性によって、栄えある認定を受けることができたのですが、逆にデカンショ節だけと狭く受け取られているようです。

 文化庁の発表も「丹波篠山デカンショ節―民謡にのせて歌い継ぐふるさとの記憶」という文化的な表現でわかりにくいところがあります。

 パッと聞いて「デカンショ節」だけと捉えられるようです。

 デカンショの民謡とともに、そこに歌われた人々の暮らし、まちなみ、自然や文化、そして心意気などが、今も受け継がれ息づくまちだということなのです。

 これから「日本遺産のまち」として、発信します!

 

篠山市長としては

「日本遺産になったのはデカンショ節だけじゃない、

篠山の歴史・文化豊かなまちなみ全体なんだ」

ということ自体は、間違いではないと思います。

 

 

ただ、

これから日本遺産を売り出していくときに、

果たしてそのスタンスで大丈夫でしょうか?

 

 

☆篠山の発信したいメッセージはなんなんだ?

 

これまでの記事でも書いたように、

日本遺産自体は現時点でも18個存在し、

これからもどんどん増えてきます。

 

 

sasayaman.hateblo.jp

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日本国内に他の日本遺産や世界遺産も存在する中、

国内や海外から篠山に来てもらう方策を考える必要があります。

 

「日本遺産の篠山です」とPRしていれば

来てもらえるというわけではないのです。

 

篠山市長の「日本遺産になったのはデカンショ節だけではなくて

篠山のまちなみ全体」

というのは間違いではないが、極めて総花的だと思います。

 

篠山の事を全く知らない

国内の観光客層や

外国人に対して、

 

もっと具体的なメッセージを発しないと、

埋没してしまうのではないでしょうか。

 

 

この点、

多くの兵庫県関係者が誤解していた(らしい)

「日本遺産=デカンショ節」

というのは、

間違いかもしれませんが、

 

みんなが誤解していたということは、

それだけ「日本遺産=デカンショ節」というのは

伝わりやすい構図だったと言えるのではないでしょうか。

 

「何やらデカンショ節という

300番まである民謡があるらしくて、

日本遺産にまでなっている。

夏に足を向ければ、住民が踊っているさまを見る事ができる」

 

こちらの方がよほどメッセージとしては分かりやすいのではないでしょうか。

 

 

これから日本遺産としての篠山をPRしていこうとするのであれば、

「誰にどういうメッセージを伝えるのか」を考えていく必要があります。

 

その点で、今回の篠山市長の発言は、間違いではありませんが、

もう少し戦略を練った方がよいのではないかと思います。