「稼ぐまち」と「稼がない自治体」
☆10の鉄則を2つのポイントに噛み砕いてみる
このブログでも何度か取り上げている、
木下斉氏が最近本を出しています。
稼ぐまちが地方を変える―誰も言わなかった10の鉄則 (NHK出版新書 460)
- 作者: 木下斉
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2015/05/08
- メディア: 新書
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自ら金を出し、会社を作り、稼ぐ事を実践している筆者ならではの
エピソードがふんだんに盛り込まれているので、
まちづくりに関心ある向きは一読をお勧めしたいのですが、
木下氏のメッセージのポイントは以下の2点であると
ササヤマンは考えます。
(勝手に10の鉄則を2つにまとめてしまってますが)
①供給側ではなく需要側の視点
②自らのコミットメント
そして、この2つのベースにあるのが、
「稼ぐ」という明確な目的です。
稼ぐからこそ、売り手(供給側)ではなく、買い手(需要側)の視点が必要です。
稼ぐから(稼ごうとするから)こそ、他人事ではあり得ない、自らのコミットメントが必要になります。
☆稼がない世界を考えてみると
それでは、木下氏のメッセージと真逆の世界を考えてみます。
「稼がない」「稼げない」「稼がなくてもよい」世界です。
これまで、
行政は「民間が行わない=採算に合わない分野を行う」と考えられ、
もともと稼がない分野を担う事が往々にしてありました。
「稼ぐ」ことを目的にしている事業であれば、
「稼げるか、稼げないか」答えはシンプルです。
しかし、
「稼がなくてもよい」事業については、
「稼ぐ」以外の行う理由・目的が必要になります。
そこで、
「みんなのため」「住民のため」といった
ふわっとした民意などがその役割を担うことになります。
こうした理由・目的のもとでは、
実際に買い手がいるのか、利用者がいるのか、という
需要側の視点は出てきません。
結局、「みんなのため」「住民のため」に「頑張っている」
という、供給側がどれだけやったかという視点に終始することになります。
加えて、「自らの」コミットメントについても、曖昧になります。
自分のお金が、生活がかかっていれば、みんななんだかんだ一生懸命になります。
でも、
そもそも稼ぐ事が目的でない場合には、
コミットメントする理由は、多種多様です。
まだ熱意ならいいのかもしれませんが、
役場の職員なら、組織としてその担当になったからコミットする、といった、
「自ら」とは言い難いコミットメントになってくる事もあるでしょう。
その意味で、
「稼ぐ」ことをあきらめた瞬間、
①供給側ではなく需要側の視点
②自らのコミットメント
という2つのポイントも崩壊し、
結果的に木下氏のあげている
10の鉄則も崩壊してしまうのではないかと考えます。
そして、それが多くの地域活性化の取り組みで
起こっていることではないかと考えます。
☆稼ぐ事をあきらめると失敗が許されなくなる
よく行政は失敗が許されないと言われます。
稼ぐ事が目的であれば、稼げなければそれは失敗です。
そして、
失敗すれば、撤退すればいいのです。
でも、行政ではそれはできません。
なぜなら、「稼げた/稼げなかった」というような明確な基準がないから。
もともとが、
「住民のため」といったふわっとした目的のために誰かが始めた事業であるために、
一度始めてしまうと、破産でもしない限り、失敗とはいいきれません。
失敗とはいいきれないために、
やめるときには常にやめることに反対する勢力がいます。
そしてこれまた面倒な事に、
稼がなくていいのなら、自分の財布が傷まないので、
誰も自分の問題として失敗に向き合わない。
目の前のプロジェクトを維持していくと、
毎月、10万円ずつ自分の貯金が減るのなら、
誰だって真剣に撤退を考えます。
でも、誰も懐は痛まない。
撤退の判断をして痛むのは組織のメンツや政治家の顔。
それでは誰も撤退しません。
木下氏の著書での核心的なメッセージはまさにこれです。
これこそが、民間の力です。つまり成立しない事業は実行できないから強いのです。
行政の場合には無理やり国から予算を引っ張ってきたり、投資回収という概念を無視して自治体がその信用力を利用して借金し、力ずくで元の計画どおりの建物をつくってしまったりします。しかし、民間にはこれが出来ない。出来ないから知恵が出るのです。
「稼ぐ」という目的によって、明確な撤退の基準ができ、
失敗ができる組織に変わることができる。
もし行政が見習うべきところがあるとすれば、
まさにこのポイント=失敗できる組織になる、ということだと考えます。